アーチスト紹介
林 香君
永遠に変わらぬものを
林 香君

人類最古の仕事への畏敬

 林香君の作品は一見、男っぽい。しっかりと重心をおろし、地を踏みしめたような作品が多いからだろう。色も大地をイメージさせるものが多い。しかし、その内側には女性の優しさが横溢していることに気づかされる。と同時に、制作に臨むときの「時間の尺度」がとても長いことも陶芸家・林香君の特長だ。自分の時間軸をしっかりと携え、やるべき仕事に取り組んでいると映る。そもそも陶芸は、人類最古の仕事のひとつである。たかだか数十年の間に生まれた仕事とは、時間軸が違って当然だ。

 林香君は台湾の台南市で生まれた。10歳の時、日本に住んでいた父親から日本に来るようにとの連絡があった。昭和38年のことである。

 そして、東京・文京区の小学校に編入された。日本語はまったく理解できなかったが漢字という共通の文字があった上、級友たちがていねいに教えてくれたこともあってメキメキ日本語の能力をつけていった。

「日本に来たばかりの頃、両親にアドバイスされたことは、何を言われても『はい』と返事をしなさいということでした。周りとうまくやっていけるようにということだったんでしょうね。それを忠実に守っていたおかげで、私はとても素直な子という評判になっていました。今でもその影響が残っていて、本当は断らなければいけないのに、『はい』って言ってしまうことがあるんです(笑)」

 外国で生まれ日本に来て初めて日本語に接した香君は、日本語という特異な言語に驚かされた。

「最初にひらがなを見た時、曲線が多くて美しいと思いました。最後にクルンと丸くなっている『ね』とか『る』とか…。優しいかたちだと思いました。それから、五十音は『あい』から始まるでしょう。その頃、『あい』は『愛』のことだと思ったんです。愛から始まるなんて、なんて素敵な言葉なのかしらって思いました。その上、高校で習った古文の『いろはにほへと』では『色』から始まるわけでしょう。なんて素敵な国なのかと思いました。これなら絶対に宗教紛争なんて起こり得ないって」

 香君の日本語の訓練は、漢字をひらがなになおすことだったという。ひらがなから先に覚えるわれわれ日本人には想像できない苦労があった。

時代の波に翻弄されて

 生来の快活さにも助けられてすんなりと日本の社会にとけ込んだが、18歳の時、日中国交回復にともなって、台湾と日本が国交を断ったことに衝撃を受け、茫然自失となってしまった。その時、香君は、自分の力がとうてい及ばないところで世の中が動いているという事実を思い知らされる。

 しかしながら、それが、香君を芸術の道に進ませることになる。なぜなら、国と国の垣根を越えることのできるのは、まさに芸術であると確信したからである。共通の言語や歴史観や宗教がなくとも、芸術に対する思いはそう大きく変わらない。自分が芸術と関わることによってさまざまな国と国の、人種と人種の結びつきを深めたいという思いに至ったのだ。

「いつまでも変わらないものを作りたいと思いました。何十年何百年たっても変わらないようなものを。美術評論家が過去を振り返る時、ざっくざっくと重要な節目を挙げますが、それは数百年飛びのこともあります。でも、実際は一人ひとりの人間が着実につないでいるのです。一人の人間の命は短いけど、焼き物は人類の証人です。ずっと人間の身近にありました。その連綿と続く鎖のひとつになれるだけでも素晴らしいことだと思えたのです」

 永遠に変わらぬものを作り続けたい。香君はそう強く願うようになった。

 そして、東京藝大へ進み、故・藤本能道(人間国宝)、故・田村耕一(人間国宝)、浅野陽氏、故・三浦小平二(人間国宝)など良き師に恵まれて腕を磨き、卒業後、栃木県益子へ移住する。

自然こそ師匠

「手を合わせたかい?」

 すぐ後ろで声がしたので振り返ると、初老の男の人が立っていた。木のスケッチをしていた時のことだった。香君は「現場百回」を心がけているだけあって、現場での取材やスケッチをけっして疎かにしない。

「描かせてもらうんだから木に向かって手を合わせてからじゃないとだめだよ」

 きょとんとしている香君に男の人はもう一度言った。男の人が言わんとしていることをすぐに理解した。以来、香君は自然こそ師匠だと思い、自然をスケッチする前に、よろしくお願いします、と念じてから仕事にかかるという。

 自然に対して手を合わせる心を失わなければ、もう迷うことはない。自然を畏れ敬い、大局的な視点で自分を見つめる客観性があれば、目の前の悩みなど塵芥のようなもの。それからである。自然に対する感覚が鋭敏になったと感じるようになったのは。よく注意して見てみれば、自然はさまざまな驚きに満ちている。積もった雪は、木の根元の周りから溶け始める。スパッと切られた枝先が再生する時は、枝の先を巻いて被せるようにして枝が伸びていく。それまで無為に見過ごしていたものが、明瞭な風景となって目に飛び込んできた。まさに生命がそこにあるのだということを感じとれるようになった。

 そのような感覚が自分の創作に反映しないわけがない。それ以降、林香君は、猛スピードで進化し続けている。「深化」と言い換えてもいいかもしれない。

 2009年、日展において特選受賞。2011年にはニューヨークで開催された茶碗展に出品し、ウォーチェスターアートミュージアムの買い上げになった。さらに、2011年、ドイツ・ハイデルベルクでの展覧会も開催された。

 林香君は、移ろいやすい世の中の動きに惑わされない、普遍的な価値のある作品を作りたいと思った。それは、さまざまな国と国の垣根を越え、人と人をつなぐことにもなると思ったからだ。そして、たどりついたところは、芸術と社会の接点という、人類にとってきわめて重要な領域であった。

 さらに、未来を担う若い人たちの可能性を広げることも自分の役割のひとつだと信じ、ある藝術大学の教授を務めている。多くの先達があらゆる芸域を切り拓いたが、わずかに残る未開拓地は「社会性」であるのかもしれない。

 陶芸の本質を見つめ、新しい境地を探り続ける林香君。その芸術性は研ぎ澄まされていくばかりである。(取材・文/高久 多美男)

※記事写真の作品は販売しておりません。ご了承ください

1990年、女流陶芸展京都府知事賞 ’90国際陶芸展文化院長賞受賞

1991年、女流陶芸展新人賞

1993年、朝日陶芸展グランプリ受賞

1997年、日本現代工芸美術展大賞受賞、マロニエ文化賞受賞、女流陶芸展河北倫明記念賞、栃木県文化奨励賞受賞

2006年、女流陶芸・なにわ国際留学賞受賞

2009年、第41回日展特選受賞、第42回現代工芸展本会員賞受賞

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