アーチスト紹介

生死を分けた事故

 狩野智宏は1958年、東京に生まれた。日本画壇においてあまりに有名な家系に生まれた狩野は、大学進学時も迷うことなく日本画科のある大学へ進学する。しかしほどなく「平面」で表現することに限界を感じるようになる。
 卒業してCF制作会社に入社後、演出家の川崎徹氏らを中心に創立した制作会社の創業メンバーとして参画する。駆け出しだった狩野にとって、日本を代表する映像作家らと仕事をすることは大きな刺激となった。
 27歳のときだった。仕事中に運転していたバイクに乗用車が突っ込み、電柱に衝突。幸いにも一命を取り留め、気がついたら病院のベッドの上だった。生死を分かつ大事故だったと知ったのは、警察官から言われた言葉からだった。「0.1秒早くても遅くても即死だったよ」
 会社は、いつでも戻って来いと言ってくれた。憧れの人たちとの仕事。十分な報酬。理解ある仲間たち。それでも、狩野の頭に「職場復帰」の文字は浮かばなかった。
「あの事故は自分が招いたのではないかと思うことがあります。あのとき、自分の能力に限界も感じていたんです。それに、CFは集団で一つの仕事を作りだす仕事。心のどこかで自分一人でやり遂げる仕事に対する憧れがあったことも確かです」

ガラスとの「運命の出会い」

 入院中だった狩野は、大学時代の同級生の父親が版画家で、ガラス作品も作っていたことを思い出した。退院後、8年ぶりに同級生に連絡をしてアトリエを見学。そのときの衝撃が忘れられないと言う。
「ガラスを個人でも作れるということに驚きました。工房で体験した作品が一週間後、美しい真っ青な色になってできあがっていたのを見て、得も言われぬ感動を覚えました」
 通院でのリハビリも終わり、狩野はガラス制作を開始する。その後、アメリカと日本で修業を重ね、1995年、山梨に自身の工房を開いた。37歳の時だった。工房を開設した当初、狩野は鋳型鋳造法、「パート・ド・ヴェール」という技法で作品を作っていた。粘土などで原形を作り、石膏で型を取る。その型の中にガラス片を詰めて焼成し、型から出したガラスを加工する。
「しばらくこの技法で作品を作っていましたが、次第に違和感を覚えるようになっていきました。役割を終えてしまった原形を見ていると、虚しさのようなものを感じたんです。それに、作品と自分との間に一体感を感じない。今度は工程のすべて、つまり原形自体もガラスで作りたいと思うようになりました」
 狩野が試みたのは、吹きガラスでガラス製の鋳型を作り、そこにガラスを鋳造するという方法。誰もチャレンジしたことのないこの技法で作られた作品は、まるでガラス製の風船のよう。それ自体が生きもののような動きを感じさせる作品だ。1998年から発表し始めたこの作品群だが、時間が経つにつれ、再び狩野の心には違和感が生じてきたという。
「何かが違う、と感じ始めたら、もうその作り方はやめるしかない。それが僕の考え方なんです」

自然との共同作業を大切にしたい

 アモルファス。前作から創作技法を一新し、2004年から作りはじめた作品群の名前である。非結晶体(ガラスも含む)という意味だけでなく、ギリシャ語で「形のない」という意味を持つという。自然や命、心を作品で表現しようとする狩野の思いが込められたネーミングだ。
 濃紺の楕円形のオブジェには大小さまざまな気泡と、波のような線が泳ぐ。神秘的なその佇まいは生命のゆりかご、深海のようでもあり、光を差せば宇宙のようにも見える。どちらにも共通するのは、そこに命の営みを感じること。明るい太陽の下で見れば、また違う「いのち」を見せてくれるのだろう。
「鋳造型の作品を作っているとき、鋳造過程でふと電気灯の中を覗きこんでみると、型の中に流れ込んでいくガラスの動きが見えた。水のように均一にさらっと流れて型の中を満たすのかと思っていたら、何か生命体のような不思議な動きをすることがわかったのです。僕はいつも作品の中に『自然』ということを意識しているので、こういう自然の動きを作品にしたいと試行錯誤を始めました」
 透明のガラスと濃い色の粉を混ぜ、微妙な色遣いを織りなす大きな「ガラスの塊」を作る。それを一日6時間もの間、ひたすら削り、磨く。そうしてできあがったのが「アモルファス」だ。
 狩野は個展活動もやめ、この作品づくりに徹しているというが、このアモルファスの製作は、6年間に6つが限界。つまり一年に一つしかできない大作である。
 アモルファスは、現在、上海硝子博物館などにも所蔵。海を越え、「自然観」という壮大なテーマを発信し続けている。

日本人のアイデンティティーを作品に込める

「一日に6時間も削り続けていると、自分の意識がふっとなくなって、宇宙とつながり、一体化していくような感覚になるんです」
 微妙な色合い。留まっているはずなのに、静かな動きを感じる佇まい。見つめていると、自分がその中に包まれているような錯覚を起こす不思議な力さえ感じてしまうのは作家が感じた「宇宙とのつながり」が、作品を通して観る人に伝わるからなのだろうか。
「ガラスというのは、うつろっているイメージがあります。うつろうということは、生きているということ。僕の作品の一番のテーマは、命や自然をどう作品の中に表現するか、ということに尽きます。自然というのは日本人が大切にしてきた感性。だから世界に打って出たいと思った時、やはり日本人のアイデンティティーである自然観というものを大切にしていかなければならない。それは狩野家が代々大切にしてきたことでもあります。また、ガラスには鮮やかな色ばかりで、日本の四季に合うような色がなかったので、ガラスメーカーに依頼し、和の伝統色のガラス素材を作ってもらいましたが現在の色が揃うまでに、14年かかりましたよ」

悠久の時を感じて

「この作品には、何千年もの歳月をそこに吹き込んでいるんです」
 アモルファスは、何千年も割れずに残るように作られたものだという。丈夫に作るためには「除冷」という作業の時間がカギになる。
 焼成されたガラスは、通常2週間かけて除冷するというが、除冷期間が長いほどひずみが起こりにくく、丈夫になるという。狩野は除冷に一ヶ月半以上かけている。
 狩野のオブジェは、見る人によって感じ方が異なるだろう。海、宇宙、生命、光、心の渦。狩野が「カタマリが好き」というのにもここに理由がありそうだ。
 鉱物に代表されるように「塊」には時間が凝縮されている。その時間の裏には自然界の営みによって作られた色や模様、閉じ込められた生物の面影。時間なくしてはできない産物が「塊」なのである。その塊に、人は自分なりの見立てをして、ときに自分を納得させ、励まし、癒され、悟り、希望を抱く。
 目の前にないものを手に入れようとするのではなく、自然界との関わり合いを大切にし、そこにあるもので「見立てる」ことで、自分の心にその印象を焼き付ける。日本庭園の枯山水はその代表的なものと言える。石庭を水の流れや無常観に見立て、庭園自体を宇宙に見立てる。ミクロの世界であっても宇宙とのつながりを表現しようとした日本独特のこの精神は、声高に自身の利益を主張するようになってしまった現代の世に必要な感性かもしれない。
 美しい流線型。磨きあげられた曲面。自然が偶発的に残した気泡やガラスの流れた跡。光の具合によってさまざまに表情を変える多様な美しさ。作家と自然が対話した結果、アモルファスはまさに「完成形」にふさわしい魅力を備えた作品となっている。
 だからこそ、狩野は次なる挑戦を始めるという。
「あらゆるものをすべて内包した作品を作りたい」
 抽象的な言葉だが、制作過程のその作品を見れば、作家の意図がわかってくる。
「一般的にガラス作品における失敗とは割れること。だけど僕はこの、ガラスが割れるという状態も含めて自然の営みの一部と捉えたい。ガラスが割れる状態を作るために土や砂、石などさまざまな自然界の素材を次の作品に取り入れたいと思っています」
 特に工芸的手法を取り入れた芸術作品は素材によってさまざまな制約があり、それを守り、生かし、引き出すことで美しく仕上がっている。しかし自然界はそうはいかない。壊れたもの、不均衡のもの、それらをすべて含めて大きな調和の中にある。創作をすることで自然との共同作業をいかに増やしていくか。次回の作品で表現される「混沌とした調和」は、より自身の命題に近づいているはずである。
「一番のテーマは自然」。狩野は何度もそう口にした。
 彼の挑戦は、日本人の感性を取り戻すための挑戦でもあった。

※記事写真の作品は販売しておりません。ご了承ください

1958年東京生まれ
和光大学人文学部芸術学科日本画卒業
日本画壇、狩野派・狩野探幽の弟、狩野尚信から15代目
ガラス素材の可能性を求め、ガラス造形作品はオブジェから、建築空間にダイナミックな作風を展開する。

1999年サントリー美術館「日本のガラス2000年」展
2003年東京国立近代美術館「近代工芸100年」展
東京:国立近代美術館 作品収蔵
スペイン:ラ・グランハ 王立ガラス博物館 作品収蔵
中国:上海ガラス博物館 作品収蔵

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