アーチスト紹介
島田 恭子
サクラサク。
島田 恭子

私たちの心の中にある桜の原風景

 栃木県益子町在住の陶芸家・島田恭子さんの作品には、多くの桜が描かれている。月の光に優しく照らし出された夜の桜は、淡く、幻想的に浮かび上がる。島田さんの描く桜は、私たちがいつかどこかで見た桜。心の中に、きっと誰もが持っている自分だけの風景。
 もちろん、島田さんの作品には、桜以外の花や植物をモチーフにしたものもたくさんある。椿・牡丹・梅・竹・紫陽花・蓮・菖蒲・紅葉・百合……。どのモチーフも落ち着いた色合いで描かれ、静謐な雰囲気を漂わせている。それらは、その季節ごとの空気の匂いまでも感じさせてくれる。写実的なもの以外にも、まるで抽象画のようなものまで、その表現は幅広い。
 島田さんの作品に描かれる花や植物たちは、どれも細かくて繊細だ。そんなふうにものごとを描写されるくらいだから、ご本人はきっと神経質なほど何事にも細かい方なんじゃないかと、勝手に思い込んでいた。しかし目の前にいる島田さんは、人を包み込むような優しい眼差しを持つ女性だ。魅力的なものは、魅力ある人から生まれる。島田さんの作品に私たちが惹かれるのは、島田さん自身が人を惹きつけるものを持っているからだ。それはとても自然に内側から溢れ出てくるもので、努力して身に付けたものとは違う、生きてきた年月によって積み重ねられたものだ。その原点とは一体何なのか。
 島田さんは1954年、茨城県岩瀬町(現・桜川市)に生まれる。岩瀬町は益子のすぐ南に位置する、栃木県との県境の町である。桜の名所として知られている町で、ここに流れる桜川とその一帯が、世阿弥の謡曲「桜川」のモデルになったといわれている。国の天然記念物にも指定されている桜並木の桜は、その昔、江戸城にも植えられたと伝えられているほどだ。
「とっても桜の綺麗なところだったんです。意識して思い出そうとか、あの桜を描こうとか思ったことはありませんけど、小さい頃のそんな身近な風景の記憶が、無意識に働いているのかもしれませんね」
 さらに島田さんが陶芸の道へ進むことを暗示しているようなことも。毎日通う高校への通学路の途中に、明治から昭和にかけて日本の近代陶芸を開拓した板谷波山の生家があったそうだ。

都会での何不自由ない暮らしを捨て、益子へ

 高校を卒業すると、すぐに東京・日本橋にある総合卸商社に入社。
 入社試験の面接で島田さんは事務職を希望するが、実際に配属されたのは秘書課だった。新入社員が秘書課に配属されるのは異例のことで、島田さん自身もどうして自分が、と不思議だったという。秘書課での島田さんは仕事に楽しみを覚え、上司や先輩たちからとても可愛がられた。
 何の不満もない華やかで楽しいOL生活。大きな転機が訪れたのは、上京して4年が過ぎた頃だった。あるデパートの画廊で行われていた個展で見たもの。日本以外にアメリカやオーストラリアで作陶し、国際的にも活躍した益子焼きの陶芸家・瀬戸浩氏の作品である。その焼き物を見た瞬間、衝撃が走り、すぐに大きな感動がやってきた。こんなものを作り出す人がいるんだ、と。
 そして、そのまますぐに益子にある瀬戸氏のアトリエへ向かい、直接弟子にしてほしいと頼んだという。
「若かったとはいえ、勢いまかせにもほどがあるでしょう。陶芸の知識なんて全然なかったのよ。ただ瀬戸さんの作品を見たとき、私がやるべきことはこれかもしれない! って思っちゃったのよね」
 案の定、瀬戸氏にはすでにお弟子さんがいたため、断られてしまう。その帰り道、夕暮れの中で見た益子の風景。初めて訪れた場所なのに、どこか懐かしい感じがした。島田さんは一人、そののどかな景色を眺めながら、この場所で自分のための小さな茶碗を焼きながら、ひっそりと暮らしたいと強く思った。
 瀬戸氏が島田さんを断った理由には、若者にありがちな熱しやすく冷めやすい、飽きるとすぐに放り出してしまうという面を心配したことも考えられる。しかし、22歳ほどの若い女性が、都会での快適な生活を投げうってまで進みたいと思った道である。諦めきれない島田さんは、東京へ戻ってからも瀬戸氏宛に手紙を書く。どんな内容か詳しくは覚えていないが、きっとめげずに、弟子にしてほしいとお願いしていたんじゃないかしら、と懐かしそうに笑う島田さんが、ふいに一枚の封筒を取り出した。瀬戸氏から島田さんへ送られた、返事の手紙だった。
 手紙の中に『益子に入り陶芸を志すことは髪を切り仏門に入るのと似ています。この町には焼物以外の何もありません』という言葉がある。島田さんは、今改めてこの言葉が胸に響くという。この言葉からは“益子で作陶すること”がどういうことなのか、静かに伝わってくる。女性である島田さんに、あなたにはそれだけの覚悟がありますか? と言いたかったのだろう。当時はあまり気にならなかった言葉が、益子で実際に約30年間過ごしてきた今の島田さんに、たしかな声となって伝わってくるのだ。
 瀬戸氏はすでに亡くなられているが、生前ごく稀に島田さんと顔を合わせることがあったようだ。言葉は多く交わさなかったというが、かつて自分の門を叩いたお嬢さんが、同じ陶芸家として大いに活躍している姿を見て、きっと嬉しく思ったことだろう。
「今、もう一度この手紙を読み返すことができてよかったと思うんです。瀬戸さんが、陶芸と向き合う私の姿勢を、ピシッと正してくれた気がするから。惰性で焼き物をしてはいけない、いつも新鮮な気持ちで作りなさいって。慣れとともにだんだん忘れてしまいそうになる、当たり前だけど大切なことを、改めて気づかせてくれたんじゃないかと、そう思えて仕方なくて」
 陶芸のことを何も知らない島田さんを無下に追い返すこともせず、その厳しさを独特の言葉で、最初に教えてくれたのが瀬戸氏だった。圧倒的に男性作家が多い陶芸の世界で、女性である島田さんが本当にやっていけるのだろうかと、将来を心配してくれてもいたのだろう。

陶芸に没頭する日々

 その後、島田さんは益子に拠点を構え、同じ陶芸家と結婚し、現在に至っている。
 島田さんの作品が現在のようなスタイルになったのは、1994年頃からだという。自分だけの表現を探し続けて、今やっと落ち着いてきた。
「これは陶芸を始めた時からずっとなんですけど、有名になりたいとか、作品をたくさん売りたいとか、特に思ったことはないんです。何かを目指したりということも、なかったですね。瀬戸さんに会うために、初めて益子を訪れた時の気持ちは、今も少しも変わっていないんです」
 島田さんは自身の作品に対して”いいですね“といわれるより”他にないですね“といわれたほうが嬉しいという。多くの人から認められ、評価されることはもちろん嬉しいのだが、それ以上に、唯一無二の存在であることを自分の作品は望んでいるのだと。
 また、一見益子焼きには見えないその風貌から、見た人に必ず何焼きかと聞かれる島田さんの作品。間近でじっくり見てみると、細かい布目のようなものが確認できる。これは、素焼きをしてから白化粧(白い泥で作品を覆うこと)をし、それが柔らかいうちに実際に布を当てて、布目をつけているからである。そこへ今度は、背景になる色をのせていくのだが、目の前にある色と焼き上がりの色はかなり違ってくるため、その色の濃淡や彩度などすべて記憶しておかなければならない。感覚を研ぎ澄まさないとできない作業だ。
 背景が終わると、次は細かい部分を描いていく。桜だったら枝→花というように、下になるものから描いていく。全神経を筆先に集中させて、何もない状態から一気に描きあげる。参考になるのは頭の中にある大体のレイアウトだけだから、描いているうちに想像していたものと若干違う絵になってしまうことがあるそうだ。
「本当はここにも花を描きたかったんだけど、スペースがなくなっちゃったからこっちに描いちゃえ、っていうふうに、ひとつひとつは細かいけど、けっこう自由に描いてるんですよ」
 なるほど。島田さんの作品が、繊細かつダイナミックに見えるのは、そのせいだったんだ。それを今度は本焼きするのだが、これで終わりではなく、最後にある重要なことをする。花びらを、金色で縁取りしているのだ。金彩することで、より華やかさが増し、桜が輝き出す。金を使うとけばけばしくなりそうなものだが、島田さんの作品は上品さを失わない。そして、もう一度焼いて完成となる。三回焼いて、この桜が生まれるわけである。こうした根気のいる作業が、島田さんの焼き物を“どこにもないもの”にしているのだ。
「窯から出す瞬間はいつも緊張しますね。出してみて、ガッカリしちゃうんです。こんな色になるはずじゃなかったのにって、自分の力を思い知らされます。まだまだなんだなって。でもその気持ちが次への励みになるから、いいのかもしれませんね」

サクラサク

 島田さんにとって陶芸とは、芸術ではない。用の美という言葉があるように、陶芸品には私たちの生活の中で実際に使われてこその美しさがある。島田さんの皿を購入したある女性の言葉が印象的だ。
「大切な島田さんのお皿は、お客さんが来たときにだけ使うことにしています。でも特別な日には必ず使うから、結局ふだん使っているお皿より、出番が多いです」
 たくさんある食器の中には、ほとんど使われないものもあるだろう。毎日ではなくても、必ず使われる日がある島田さんの皿は幸せである。
「桜はね、ほかの花よりも描いていて面白いの。桜の記憶には、花そのものだけじゃなく、必ずその咲いている状況や、情景も一緒についてくるでしょう。そのぶんだけ桜には、たくさんの表現ができると思って描いているんです。これからも、真摯な態度で陶芸と向かい合い、焼き物をとおしてみんながそれぞれ持っている心の桜を描いていければ、と思うんです」
 そう言ってまっすぐな姿勢でこちらを見つめる島田さんからは、凛とした空気が漂う。大切な心の風景を、私たちがいつでも思い出せるよう、島田さんは花を咲かせ続ける。
(取材・文/岩本 美香)
※記事写真の作品は販売しておりません。ご了承ください

1954年、茨城県岩瀬町(現・桜川市)に生まれる

1978年、栃木県立窯業指導書卒業後、作陶を始める

以後、個展多数。日本橋高島屋での個展は、2001年以降、毎年開催

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